Tinder冒険:happnは終了しました

デミロマのXジェンダーで色々とこじらせた20代が出会い系アプリでやらかしたことを記録する

Tinderの2ヶ月を振り返る

大まかに分けて、3シーズンに分かれている。

今は3ヶ月目なのでシーズン3の真っ最中。

経験値・見る目・目的が変化していったような気がする。

 

第1期:3月

この頃の経験値を0としよう。

目標は「彼氏」で、目は腐ってます。

 

今年こそ、と思ったのに今年が4分の1も終わってしまい、焦っていた。

擬似的に本命3人くらいにときめいて。

この頃は彼氏有力候補の3名だと思っていたんだよな・・・。

 

結果的に、2名脱落。1人は今でも友達。

 

恋人っぽいやりとりも最初は楽しかったけど、甘えられたい欲に答えるのも、仕事の忙しさが激しくなるにつれて、しんどくなった。

本当に見る目もなく、自信もなく、中の上な顔をしたチャラ男に引っかかってみたい時期だった。

本命候補に振られたと思ってとても落ち込んだり、その勢いで写真では「う〜ん」と思った人に連チャンで会ってみたら意外とタイプだったりして、会ってみないとわからないものだなあと思ったもので。

 

この頃、私は最初に付き合ってって言われた人と付き合う気でいた。

今は言われても誰とも付きあわない。タイミング、大事だいじ。

 

1番のイケメン(未だにこの人を超える人いない)と会ったのもこの頃。

あの人はいま、元気にしているのだろうか。

 

 

第2期:4月

経験値2くらいか。

相変わらず「彼氏」が目標。でも、自分の自信のなさで逃した素敵な人を思い浮かべてはもったいなさを噛みしめて「自信をつけよう」と思い至った時期。

見る目は相変わらずクソです。中の上であればOKだったが、自分でスワイプするようになり、マッチ数が減ってメッセージのやり取りがややマンネリ化。

と、言いつつ、週3〜4ペースでご新規様と会い、2・3回目の人もちらほら。

 

スワイプしたらマッチするのが当たり前なので、だんだんと楽しくなってきた頃です。

だがしかし、会った相手は写真を見て「う〜ん」くらいの人が多かったのもこの時期。

 

黄金期は第1期でした。あの頃の私に自信があれば!!

(だけど色々と試行錯誤をしたから自信がついたとも言える)

 

経験のなさというものの克服とか、

需要はなんなのかを知りたくて

結構、気軽に試してみるかと一線を超えてしまった。

 

簡単だった。自分にあった劣等感なんて無意味だった。

だけど、こういう自信をつけたかったわけじゃなかった。

 

断る申し訳なさにギリギリOKだったら誘いに答えてしまう自分に腹が立った。

最終的に色々と面倒臭いなって思い始めた。

 

第3期:5月

新規スワイプをしなくなり、これまで会おうと約束した人たちを消化中。

少し目が開いた程度か。

 

人数をこなすと、受け答えも定型化し、成功率があがる。

でも、こういう経験値を積み重ねたかったわけじゃない。

 

私はほとんど恋をしない生き物だ。

それなのに、こんな風に出会ってお金を使わせて、その気にさせるのは軽く詐欺なんじゃないだろうか・・・という気さえする。

それでも、私だって好きだと言われたら嬉しいし、できる限り答えたいとも思う。

 

でも、そこまで息が長く好きでいてくれる人は少ない。

100人に1人くらいだろうか。

 

私が恋をするまで頑張ってくれる人がいれば良いんだけど。

そこまで気が狂ったように愛するなんてことは少ないのだと思う。

そして恋心がない自分は欠陥品のような気がして申し訳がない。

 

でも、もしも気長に待ってくれる人がいたら、

私も恋ができるんだろうか。

恋人という関係性に嫌悪感を抱かずに済むのだろうか。

 

今だに一線を超えた人でつながってるのは、

ちょっと好きくらいの人たちが多い。

友達でいてほしい人というか。

 

需要と供給がやや相手方が多いくらいが安心できるし、

好感のある相手を満たすことは擬似的に自分が満たされる。

 

でも、付き合おうと言われると、途端に息苦しくなる。

4月半ばごろまでは彼氏が欲しかった。試してみたかった。

 

でも、今は面倒くささと息苦しさしか感じない。

忙しい時期は誰かに寄りかかりたいと思うし、その相手が恋人だったらと思う。

余裕が生まれると自分の中にこもりたくてすごく面倒になる。

 

浮気してる人が優しくなるのは罪悪感を滅ぼすためなんだろうな。

結局、そんな優しさって自己愛でしかないんだよな。

 

「付き合いたい」という人は、総じて束縛度が高い。

どんなに自由を許すと口で言っても、

どこかで自分の領域を侵してくる感覚が気持ち悪い。

 

「会いたい」人に会うのは毎日会ってても苦ではないのに、

そうじゃない人に毎日会いたがられると重荷に感じる。

 

結果、彼氏は欲しくなくなった。

結婚するまでに恋人という関係を試してみたかったのだけど。

 

今だって試せるなら試してみたいけど、

今更1人に絞るのは、正直、もったいない。

それ以上に好きだったら、

いろんなものを捨てられるんだろうけど。

 

好きっていうのはストーリなんじゃないだろうか。

勘違いするための物語があるから、恋ができるんじゃないんだろうか。

恋愛漫画だってキッカケがある。

出会って恋に「落ちる」理由があるから恋ができるんだろう。

 

それはもしかしたら恋に対するアンテナの感度なのかもしれない。

そしてそれは共感と献身なのではないだろうか。

あるいは存在の肯定か、支配されることが可能なほど自分を把握されるか。

 

「この人は自分をわかってくれる」

「この人と自分はとても相性がいい気がする」

「この人と描く未来は楽しそう」

「こんな人がそばにいて欲しい」

 

心の奥にある秘密の扉を開けて、それを世界で1番に肯定すること。

相手の劣等感を全肯定すること。

そして相手が自分にとって必要不可欠な存在であると、

重荷にならずに思わせること。

守ってあげたいと思わせること。

 

どっちにしても質量ともに時間をかけなきゃいけない気がする。

だから、恋をする相手は生活圏の中で出会う人が多いのではないだろうか。

 

そうだとしたら、

一目惚れのシステムはいったいどういうことなんだろう。

 

しかし一目惚れというのは、理由がないだけに

「私である必然性」を最も肯定している。

 

私にとっては「必然性」が恋をする原因になるのかもしれない。